川端康成『雪国』のあらすじ・登場人物・テーマ

Sun, Aug 30, 2020

ライター:平田提

川端康成 映画 雪国 文学
川端康成『雪国』のあらすじ・登場人物・テーマ

『雪国』は川端康成の小説で、東京に住む青年と新潟の芸者の恋愛、雪国の風景・生活が抒情的に描かれています。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の書き出しが有名です。『雪国』は昭和9年(1934)から書き出され、昭和23年(1948)に一応の完成となりましたが、昭和46年(1971)『定本 雪国』まで30年以上も改稿されました。川端康成にとって『雪国』は入魂の作だったといえるでしょう。

川端康成『雪国』のあらすじ

川端康成『雪国』のあらすじ

主人公・島村は親譲りの財産で食いつなぎ、西洋舞踏について趣味的に書いて生活していました。島村は妻子がありながらも、越後湯沢(新潟)の芸者・駒子(こまこ)に会いに行きます。行きの汽車で見かけた少女・葉子(ようこ)は、駒子の幼馴染でもある行男(ゆきお)の側について看病しています。行男は駒子の踊の師匠の息子でした。島村が一度東京に帰るその日、行男は腸結核で危篤状態になり亡くなります。島村は再び温泉宿を訪れ駒子と旅館で逢う日々を送りながら葉子にも惹かれていきます。ある日、師匠の繭倉(まゆくら、蚕を育ていた場所)兼映画小屋が火事に遭います。中にいる子供たちを大人たちが外に投げて助け出す中、葉子の身体も放り出されます。痙攣して動かない葉子を駒子は叫びながら抱きとめます。

川端康成『雪国』の主要登場人物

・島村(しまむら) 越後湯沢に通う男。東京に妻子がある。親の財産で暮らし、フランス文学の翻訳や西洋舞踏についての文章を書いている。駒子の懸命に生きる姿に魅力を感じながらも、より深い関係になることはためらっている。

・駒子(こまこ) 越後湯沢の温泉宿に通い働く芸者。東京でお酌をしていた相手と結婚するがすぐに死別。17歳の頃から港町に夫がいるらしいが、ほとんど会っていない。踊の師匠の息子・行男は婚約者で行男の治療費のために芸者になったとされるが駒子は否定している。島村に惹かれているが、島村同様、深入りしないようにしている。

・葉子(ようこ) 行男に惹かれ、東京で看病を続けていた真面目な少女。佐一郎という駅で働く弟がいる。行男の死後は駒子が芸者として通う宿で下働きをする。

・行男(ゆきお) 駒子とは幼馴染で、駒子の踊の師匠の息子。東京に出て夜学に出ていたが腸結核を患い、療養も兼ねてこの温泉地に帰ってきた。

川端康成『雪国』のテーマ。「美しい徒労」を抒情・非情で映し出す

駒子や雪国の生活を「末期の眼」で切り取る

川端康成『雪国』のテーマ。「美しい徒労」を抒情・非情で映し出す

川端康成には『末期の眼(まつごのめ)』(1933)という著作がありますが、これは芥川龍之介の遺稿『或旧友へ送る手記』に書いた言葉でもあります。死を意識した人間ほど世界が美しく見えるような、「諸行無常」の死生観や芸術観です。 『雪国』はこの「末期の眼」で描かれているとも考えられます。感情・感覚を表す「抒情」と、死を見い出す「非情」を合わせ持った視点です。

島村は自分の部屋の畳の上で死んでいく虫に美を見出しながら、東京にいる子供たちを同時に思い出しています。ここには抒情と非情が同居しています。

島村は死骸を捨てようとして指で拾いながら、家に残してきた子供達をふと思い出すこともあった(略)枯葉のように散っていく蛾もあった。壁から落ちて来るのもあった。手に取ってみては、なぜこんなに美しく出来ているのだろうと、島村は思った(川端康成『雪国』新潮文庫/128~129頁)

また島村は駒子が読んだ小説などについて長い間日記をつけていること、見たこともない映画や芝居を嬉しそうに語ること、行男のために芸者となってお金を稼ぐことなどを「美しい徒労」と表現しています。島村自身も、西洋舞踏を夢想して書くような自分の仕事も徒労だと分かっています。

島村自らが生きていることも徒労であるという、遠い感傷に落とされて行くのであろう。けれども目の前の彼女は山気に染まって生き生きした血色だった(川端康成『雪国』新潮文庫/41~42頁)

駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった(川端康成『雪国』新潮文庫/124~125頁)

『雪国』でいきいきと動く駒子と、鏡・カメラ的な役割の島村

このように「抒情」「非情」が同居する視点は、美しく事物を等しく切り取る、映画のカメラのようでもあります。『雪国』の作者・川端康成は横光利一(よこみつりいち)などとともに「新感覚派」と呼ばれますが、新感覚派には関東大震災(1923)以降に新興芸術として受け入れられた映画的表現の影響が見られます。『雪国』冒頭の「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」や、汽車の車窓に映る葉子に美を見出すシーンはとても映画的です。そこには主人公・島村の視点があります。

『雪国』でいきいきと動く駒子と、鏡・カメラ的な役割の島村

川端は「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、ただ駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか」と語っています(昭和43年12月「『雪国』について」)。 島村が「末期の眼」を持つカメラで、駒子が雪国を舞台に演じる俳優のようにも捉えられます。島村は主人公でありながら消極的で印象が薄く、それがかえって駒子のいきいきとした姿をはっきりさせています。

直接的ではないエロティシズム

『雪国』でいきいきと動く駒子と、鏡・カメラ的な役割の島村

小説『雪国』には直接的な性描写はほとんどありません。初めて駒子に出会った島村は、駒子が自分の妻のいい遊び相手になってもらえるだろう、と情欲よりは友情を感じています。ただ『雪国』には全編を通してエロティックな雰囲気が感じられます。

島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている(略)この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていた(川端康成『雪国』新潮文庫/8頁)

「こいつが一番よく君をよく覚えていたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の前に突きつけた(略)彼女はさっと首まで赤くなって、それをごまかすためにあわててまた彼の手を拾いながら、 「これが覚えていてくれたの?」 「右じゃない、こっちだよ。」と、女の掌の間から右手を抜いて火燵に入れると、改めて左の握り拳を出した(川端康成『雪国』新潮文庫/16頁)

島村と駒子は肉体的な関係を持っていたことが推察されますが、本編では直接的な表現はされません。しかしそれがかえって艶めかしい印象を読者に抱かせます。

二人はそれぞれに魅力を感じていながらも、お互い家庭や他の拠り所があったり、芸者と客という元の関係もあったりして本気の恋愛になることをためらっています。 島村が駒子を「いい人」の意味で言った「君はいい女だね」という表現を、駒子は「都合のいい女」と誤解し、怒ります。島村もその誤解を少し悔やみながらも、正そうとはしません。 『雪国』には男女のこういった駆け引きや媚態(びたい)が、しぐさや風景の抒情的な描写とともに映し出されています。

『雪国』の作者・川端康成について

『雪国』の作者・川端康成について

※画像はパブリックドメイン、ウィキメディア・コモンズより。

川端康成は明治32年(1899)6月14日、大阪府大阪市天満此花町(このはなちょう)に生まれました。幼児期に父・母が相次いで亡くなり、川端は祖父母の家に預けられますがすぐに祖母も亡くなり、祖父と二人暮らしを続けます。『十六歳の日記』にはこのときの経験が描かれました。大正3年(1914)には祖父も亡くなり、孤児になった川端は伯父に預けられたあと、茨木中学の寄宿舎に移ります。大正6年(1917)には上京し、第一高等学校一部乙類(英文学)に入学。大正7年(1918)、川端康成は初めて伊豆に旅行。この経験は『伊豆の踊子』に活かされました。大正9年(1920)、東京帝国大学英文学科に入学。第六次『新思潮』を発刊し、以降は文芸批評や小説を精力的に発表していきます。大正13年(1924)には『文芸時代』を創刊、川端や横光利一らは「新感覚派」と呼ばれるようになります。 昭和10年(1935)には芥川賞の選考委員となり、のちの『雪国』となる短編を『文藝春秋』『婦人公論』この頃発表しています。 以降『古都』『眠れる美女』などの作品を発表、昭和43年(1968)には日本人初のノーベル文学賞を受賞。昭和47年(1972)、逗子の仕事場のマンションでガス毒自殺しこの世を去りました。

関連記事:川端康成の作品・生い立ち・評価

参考資料:

  • 川端康成『雪国』新潮文庫
  • 『新潮日本文学アルバム 川端康成』新潮社
  • 大阪府茨木市・川端康成文学館展示資料
  • 五味文彦・鳥海靖 編『もういちど読む 山川日本史』

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