川端康成『雪国』を読む。艶っぽい三角関係と、カメラ的な主人公

2020/08/30 17:52

ライター:平田提

川端康成 雪国 読書 ブックフォービギナーズ 日本文学
川端康成『雪国』を読む。艶っぽい三角関係と、カメラ的な主人公

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の出だしが有名な、川端康成の小説『雪国』。しかし出だしは知っているものの、長らく読む機会を失っていた筆者と大学の同級生・栗原くん。今回は川端康成が幼少期を過ごした大阪の茨木市・川端康成文学館までの道のりを歩きながら話し、1カ月後に読んだ感想を共有してみました。

kurihara

栗原大輔くん
平田の学生時代の友人。最近Zoomで話すとカリスマ美容師感がある。

daihirata

平田提
もみあげだけチリチリしている。

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前編

後編

(前編)

『雪国』の作者・川端康成は大阪茨木で育った

――前に取材で来たことがあったんだけど、そしたらたまたま川端康成文学館を見つけて。茨木は川端康成が育った街なんだよね。15歳ぐらいまで。

栗原: 大阪生まれなのは知ってたけど、もっと大阪ど真ん中のイメージだった。15歳くらいまでということは高校までは茨木市だったのかな。

――まさに茨木高校があっちにあるんだよ。当時の旧制中学だね。川端康成のイメージってどんな感じ?

栗原: やっぱりなんといっても日本初のノーベル文学賞受賞者ということだね。ここを語らずして近代文学を語るなっていう、文学界の重鎮のイメージ。あとは『伊豆の踊り子』『古都』とか、作品が映画化してる印象があるな。

川端康成『雪国』ほど出だしが有名な作品ってある?

川端康成『雪国』ほど出だしが有名な作品ってある?

――川端康成の作品は読んでる?

栗原: 教科書に載ってた『伊豆の踊り子』や、『古都』は読んだかな。『掌の小説』という短編集のいくつかの作品は読んだよ。

――『雪国』ってあれだけすごい作品といわれながら、僕は読んでないんだよなあ。

栗原: 僕もそう。でも出だしは有名だよね。

“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。”

『伊豆の踊り子』の出だしは分からないけど『雪国』は分かる。

――出だしがそこまで有名な作品ってないよね。

栗原: あとは『吾輩は猫である』ぐらいか。教科書で習って、テストで「この出だしの小説はどれ?」って出てくるようなのは。

――それだけ印象に残る出だしなんだな。トンネルや雪国って言葉が出ようもんなら引用されるイメージ。

栗原: 電車に乗ってトンネルに入ると……って景色がイメージしやすいよね。僕は新潟にスキーをしに行くことが多かったんだけど、越後湯沢にはよく行った。『雪国』は越後湯沢が舞台だったよね? あそこにスキーに行くときトンネルを抜けると「あ~『雪国』だな」って思ってたんだけど、トンネルのけっこう手前から雪国なんだよね(笑)。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

――日本海側の北の県は冬にはだいたい雪が降ってるからね。しかし映画的な演出だよね。風景が想像しやすい。

栗原: 人が座っていて、窓をずっと見ていて、暗い空間から一気に白い雪が広がるようなね。で、黒い煙を上げてトンネルから汽車がバーッと出てきて……映画っぽいかっこよさが伝わる一行だな。

――すごく語りたいものの、読んでないからなあ(笑)。誰が電車に乗ってたのか、帰省なのか旅行が目的なのかも分からない。

栗原: 本当にね。でも『雪国』の最初の一行はほとんどの人が知ってる。逆に一行以外知ってる人が少ないのかな。

――『雪国』の二行目言えますかっていうと、たしかに難しいかな。他の作品も無理だけど。かつてそんなに一行目が知られた作品っていうと、太宰治の『走れメロス』とか? 「メロスは激怒した」っていう。

※ちなみに雪国』の二行(文)目は“夜の底が白くなった。”

栗原: 清少納言の枕草子「春はあけぼの~」とかね。そのぐらいかもしれない。

川端康成「日本を世界の孤児にしてはならない」

――いま川端康成文学館に向かって歩いてるけど、車がブンブン通っているのが「川端通り」だよ。川端康成の「川端」。

栗原: そういうことなのか。

――違ってたら申し訳ないけど……。

栗原: いやきっとそうだよ(笑)。川端康成の活躍の後につけた名前なんだね。

(川端康成文学館に到着)

――中に入って見てきたけど……。3歳のときに両親が亡くなって、祖父母に引き取られて。その祖父母も亡くして、東京大学に入って……と。孤児であった経験は川端康成の根本にあるんじゃないかと思ったね。

栗原: 川端康成の「日本を世界の孤児にしてはならない」って発言が紹介されていたね。誰かに世話になるような生き方に対して何か思うところがあるのかな。

――中3から祖父母が亡くなってどうしてたんだろう。

栗原: 親戚や近所の人に支えられていたのかな。せっかくだからこの文学館で『雪国』を買って読んでみようと思うよ。

――いいところで買ったね。では1カ月後にまた。

(後編)

川端康成『雪国』を読んでみて。妻子持ちで不倫旅行の主人公

川端康成『雪国』を読んでみて。妻子持ちで不倫旅行の主人公

――川端康成『雪国』を読んでみて、どうですか。

栗原: 短いからサクサク読めるのかなと思ったけど、時間かかったね。セリフがまどろっこしいし、『雪国』の風景、メタファーとかも多い。「これどういうこと?」が多くて。部屋の隅で死ぬ虫とか。

――虫の死骸を指で拾いながら家に残してきた自分の子供を思い出すくだりだね。主人公の島村、最低だな(笑)。

栗原: この人はなんなんだろう、って思うよね。

――冒頭の島村が雪国に待たせてる女性がいて、その駒子に会いにいきます、恋してるって話かと思ったら島村には妻子がいるし。

栗原: 不倫ですよ。

――島村は、働かずに親の遺産で食いつないでいる。人間的にむむっと思うところはあるよね。今の道徳観念からすると。でもモテてる。

栗原: 登山していたかと思えば下りてきていきなり「芸者呼べ」「たぎってんだ」みたいな(笑)。小説はきれいに書いてるけど、事実だけ書いたらとんでもないことしてるよね。

――そういう体験記として読んだら最悪だよね(笑)。それでたまたま見かけた19歳の駒子を呼んで、ああ良いなあみたいな。

栗原: 風光明媚な雪国の背景描写があるから、情緒があるなあってなるけど。

――作中分かってるだけでも島村は2、3回駒子に会いに来てるでしょ。越後湯沢に、半年に1回ぐらい来てる。しかもけっこう滞在している。

栗原: すごくお金持ってるよね。

――宿代がまず気になった(笑)。

一生懸命生きる駒子と退廃的な島村のコントラスト

栗原: 島村の心理は掴みづらいよね。川端本人がモデルではないというけど、じゃあどういう人がモデルなんだろうと。

――川端康成の解説には、駒子が本来主人公的な役割で島村は駒子の鏡として書いてるってあったよね。島村の印象は薄くて、駒子の心情が主という感じだよね。

栗原: 駒子の生きてる感じは、島村の退廃的な感じとコントラストになっているよね。島村みたいに斜に構えたの人の目で見るから、駒子が活きるところがある。駒子が日記を書いていても、それが「徒労だ!」って(笑)、島村が言い捨てたがるところとか。

――島村(笑)。

栗原: でも島村自身も生きていることが徒労だって思うところがあるんだよね。見たこともない西洋舞踏を批評して、文学者を気取っていることを自虐するような。雪国の片田舎で一生懸命生きてる駒子が徒労のように見えるけど、島村の視点を介すことで、逆に駒子の姿が純真で美しく見えるところはあるのかも。

――そのコントラストが活きているんだね。島村と駒子が、お互い本気になってはいけないっていうやり取りが端々で出てくるよね。

栗原: 業が深いというか、くっついたり離れたりのもつれ合いを見せる展開だね。

――直接的な性的描写は少ないけど、すごく色っぽい小説だよね。全体を通してそういう雰囲気。

栗原: 表現が詩的というか説明的じゃないよね。葉子が出てきたときに「悲しいほど美しい声」って表現があるんだけどそれってなんだ?って。表現がまっすぐじゃないっていうかな。

――分かるなあ。

栗原: そういう修飾語がものすごく多い。でもその表現の必然性があると思うと読み解くのに時間がかかる。最近の小説はこんなに描写にページを割かないよね。もっと人物に行動させるし、誤読の幅がないっていうかさ。

――冒頭で電車にいる島村が、近くにいる葉子を見て美しさ、はかなさに魅入られるんだよね。弟が駅で働いているのを見て急に窓を開けて叫ぶ時「悲しいほど澄み渡る声」って。「悲しいほど」って形容は何度も出てくる。

栗原: 葉子が「駅長さん、駅長さん」ってね。悲しいほど美しいっていうのは、島村のフィルターを通すとそういう真剣さ、まじめさが際立ってくるのかも知れないね。

島村の叙情フィルターを通して描かれる『雪国』

島村の叙情フィルターを通して描かれる『雪国』

――ほとんど働いてないけど西洋舞踏の本を読んで批評するみたいなことを島村はしている。見てないものから想像を巡らせてっていうところは、葉子とか駒子に勝手に悲しさ・美しさを見出すところとつながっているようだな。

栗原: 島村は相手を見てるようで、自分の世界しか見ていないところがあるよね。行きの汽車のなかでのくだりも、窓越しに葉子を見ていたり、現実と夢想が二重写しに鳴った世界をぼんやり生きてる、虚ろな感じがする。

――灯火と葉子が重なって、車窓に映ったときの美しさ・儚さを島村が思うくだりは、葉子が火事に遭うラストともつながってるかもしれない。人の反射でしかものを見ていないようなところが島村にはありそう。直に見るというより、叙情のフィルターをかませないと見れない感じになってる。

栗原: そうだね。雪国というものも幻想だよね。都会から行った異次元のように雪国が美化されてるようにも見える。

――トンネルを超えたあたりで映画が始まるように、ディレクター・島村のフィルターで切り取られていく感がある。小説ってそういうものなのかもしれないけど、それが暗示的に車窓とかで表されていたように思う。

栗原: 雪国ってくくり方、タイトルも抽象的だよね。雪国とはこういう世界でこういう生き方をしている人がいるっておぼつかない感じ。

――肌にひりひりくるような寒さ、寒くても慎ましく生きている、雪国感は確かにすごく感じた。島村さんの叙情フィルターを通した女の生き様、風物。どこか詩に近いよね。リリカルなほうに行く。

栗原: そうそう。だから読みづらいのかなとも思った。

島村・駒子・葉子の三角関係。駆け引きと誤解

――駒子と葉子って結局どういう関係なんだろう。

栗原: 同じ謡・三味線のお師匠さんのところにいる人なんじゃないの? お師匠さんの息子と駒子が許嫁なんだけど、葉子はその息子が好きでって三角関係。

――そこに島村さんが来て、さらにややこしくして……葉子も島村に「東京に連れていってくれませんか」とか言ったり。 

栗原: お相手の人が亡くなってしまったからね。もう誰かを看護する意味がないから、ここにいなくてもいいって葉子はなったんだろうな。葉子は生真面目で、分かりやすい。むしろ駒子のほうは、気持ちがどこにあるのかよく分からない。

――駒子は思わせぶりなセリフが多いよね。「あんたそれがいけないのよ」「あんたわたしの気持ち分かる?」みたいな。

栗原: 振れ幅がすごい。「あんた寝てなさい」って言うから寝たら、今度は「あんた起きてなさい」。どっちなんだよって(笑)。

――島村が「君はいい女だね」って駒子に言って、駒子が誤解をしたって描写があるでしょ。「そういう風にあんたわたしを捉えてたのね」みたいな。そこから展開が嫌な方向に行くよね。

栗原: このくだりだね。

「君はいい女だね。」 「いい女だよ。」 「おかしなひと。」と、肩がくすぐったそうに顔を隠したが、なんと思ったか、突然むくっと肩肘立てて首を上げると、 「それどういう意味? ねえ、なんのこと?」 島村は驚いて駒子を見た。 「言って頂戴。それで通ってらしたの? あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」 真っ赤になって島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫(ふる)えて来て、すうっと青ざめると、涙をぽろぽろ落した。 「くやしい、ああっ、くやしい。」と、ごろごろ転がり出て、後ろ向きに坐った。 島村は駒子の聞き違いに思いあたると、はっと胸を突かれたけれど、目を閉じて黙っていた。(川端康成『雪国』新潮文庫/146頁) ※()内は筆者

――島村も駒子を大切にしてるところはあるんだけど、駒子は島村にとっては遊び相手だと分かっていて不安もある。新潮文庫の165頁には「ねえ、あんた、私をいい女だって言ったわね。行っちゃう人が、なんでそんなこと言って、教えとくの?」ってある。ここがよく分からなかったんだよな。

栗原: 結局「いい人」って意味で島村が言ったことを、駒子は性的な関係だけの都合のいい女だっていうふうに捉えて、結果そうだったのねって言ったってことなんだろうね。

『雪国』のカメラ装置としての島村

――この小説、最後はぷつっと切れるように終わるでしょ? 葉子が亡くなったのか悲惨なことに遭って、駒子が慌ててそこに駆けつけて終わる。そのあと駒子と島村がどうなったのか。たぶん島村は帰るんだろうけど。クライマックスの途中で終わったような感じがある。面白い。

栗原: あんまり結末めいたものはないよね。スッキリしないっていうのが全体的にある。 最後の、天の川が別れの予兆のように使われる部分。火事になって葉子を抱きながら「この子気がちがうわ」って叫ぶ駒子を他所目に、島村の中に天の川がワーッと流れ込む。島村は、どういう心の移り方をしたらこうなるのか気になる。

――伊藤整が解説で「島村はけして情人、女好きじゃない」って書いてる。女好きでは……と思うんだけど、一方で島村は「装置」みたいな感じもある。代名詞だと「He」というより「This」。島村は、映画のカメラの役割を担ってた人なのかもしれない。駒子の視点でこの小説を書いたら、得体のしれない男にどんどん気持ちが乱されていく様になるのかな。

栗原: 駒子視点だとひどい話だよね。急にふらりときたおじさんが「お前いい子だな」って始まる。

――日記書いても「徒労だ!」って言われたり(笑)。島村の人間性を散々言ってきたけど、この小説は確かに美しさはあるよね。叙情。そこは名作って呼ばれるところなんだろうな。

栗原: 比喩とかが多いから分かりづらい部分は多いけど、新鮮だったな。久々に近代文学を読んだから。エンタメ小説とは違う。映像がすごく浮かんでくる小説。

――そこなんだろうね、川端康成の凄さは。

栗原: すごく細かいよね。スケッチするもの、捉えるものというのが。もっと会話や物語わ拾っていけばいいものを、細かいところを描写する。でもだからこそ、映像が僕らの目に浮かんでくるんだろうね。

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平田提
Dai Hirata

株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、兵庫県在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、オウンドメディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。

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