ベケット『ゴドーを待ちながら』の感想。不条理さで『エヴァ』を思い出す
2020/09/24 14:52
ライター:平田提
ブックフォービギナーズ 読書 外国文学不条理演劇として有名なサミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』を大学の同級生・金井くんと読んでみた読書会の感想です。2人の男が木の下で「ゴドー」という存在をずっと待ち続けるだけのお話。セリフやキャラ設定も意味が分からず、いつの間にか作品に巻き込まれてしまう。それがどことなくアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を思い出させました。
金井宏之くん
平田の学生時代の友人。カレーを食べると汗が止まらない。
平田提
月に1回はカレーをつくる。
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――今回はサミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』を読みました。あらすじを言うと、ヴラジミールとエストラゴンという2人の男が木の下でひたすらゴドーという人を待つ、という作品。結局、ゴドーは来なかったね。
金井: 来た瞬間に、話終わっちゃうもんね(笑)。
――『ゴドーを待ちながら』読んでみて、どうでした?
金井: 2回読んだんだけど、最初読んだときは正直「どうしよう」って感じだった。物語の変化が少ないよね。一幕が終わって、二幕に何か起こるかなと思ったけど……起こんない。はぐらかされる、期待を裏切られる。
――確かに。僕は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を最初に読んだときの戸惑いに似たものがあったな。どう楽しめばいいのか分からずに迷う。白水社の『ゴドーを待ちながら』の解題を読む、「ゴドー」っていうのは「ゴッド=神」を待ってるんじゃないかという解釈もあると。
金井: めちゃくちゃ深読みもできるけど、作者がどこまで意図してるかが分からなくて試されるよね。読者が自問自答していく感じ。『ゴドーを待ちながら』について考えていくことが全部、作品に絡め取られいく。
――作品に同調していくんだね。
金井: そうだね。登場人物の前提さえも疑わしくなってくるんだよね。中心人物のヴラジミールやエストラゴンのキャラですらよく固まってなかったり、途中で出てくるポッツォは二幕で急に目が見えなくなったり、何が正しいのか分からなくなる不確かさがある。作者の意図が見えるような、見えないような。
――音楽でいうジョン・ケージの『4分33秒』とも似たところを感じた。『4分33秒』は演奏者が出てくるけど、すべて休符というか演奏しない楽譜なので、誰も演奏しないで終わる作品。その場の自然音とか考える体験も価値になる。『ゴドー』は何もしない演劇ではないけど、観客を戸惑わせる狙いがあるんだろうね。
金井: 演劇とはなんぞやって、メタ的なことを考えてしまう。さっき言っていたように、キリスト教的な話にも読めるんだけど、そういうテーマよりかはこのシチュエーション、上演の2時間の枠をどう過ごすか、というか。『ゴドーを待ちながら』の木のところで待つシチュエーションだけまずあって観客は何もできない。場面転換しないぞ、さあどうする、という。
――演劇見に来たのにワークショップに巻き込まれてるかのような感じもする。
金井: テーマも見出そうと思えばいくらでも見つかるんだよね。キリスト教の教義や死ぬこと、高齢者や障害、弱者の在り方、希望を失わないこと、演劇とはなんぞやとか。
――ゴドーを一緒に待つっていう仕掛けが、観客を巻き込むんだね。
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金井: しかしアメリカの初演じゃ、一幕が終わったらほとんどの客は帰って、残ったのはテネシー・ウィリアムズ(※)ぐらいだったとか。
※テネシー・ウィリアムズ……アメリカの劇作家。『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『焼けたトタン屋根の猫』などの作品がある。
――いや、だって『ゴドー』を「パリ直輸入の爆笑コメディ」(※)って紹介するのが無理があるでしょ!(笑)
※白水社『ゴドーを待ちながら』の解題より。マイアミの初演で。
金井: コメディと捉えれば、そうかもしれないけど(笑)。でも不条理演劇だよね。
――でも結構笑えるところはあったんだよね。例えば
“エストラゴン:(腹の皮をよじりながら)腹の皮がよじれるね!(サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』62頁/白水社)”
とか。ト書きが笑える。
――時代設定や舞台になった国とかもちょっと分かりにくくない?
金井: エッフェル塔うんぬんは書いてあるし、1900年代が舞台なのかなとは思う。でもヴラジミールやエストラゴンの年齢はよく分からないよね。高齢者のようにも書いてあるけど。
――セリフを見ると若々しいよね。
金井: キャラ設定ははっきりしないね。ポッツォもそうだし。ヴラジミールとエストラゴンは「足が臭い」と「頻尿」ぐらいしか違いがない。
――ひどいアイデンティティだ……(笑)。多様な解釈を引き起こして、急に設定が変わっちゃう意味では『ゴドーを待ちながら』は『エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)』にも似てる。『エヴァ』は死海文書やキリスト教、精神分析的な解釈をいくらでもできるけど、答えはない。でも解釈を探すのが楽しい。『エヴァ』の旧劇場版→新劇場版で海の色が違うような世界設定になるのは、一幕→二幕で設定が変わる『ゴドー』的。
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金井: キリスト教背景も共通してるね。『ゴドーを待ちながら』は意味を寄せ付けないんだよな。
――ポッツォは勝手に『ドラクエⅣ』のトルネコが痩せた人というイメージだった。でも彼も紳士的かと思えば、奴隷のラッキーを虐げたり、キャラが安定しない。そのラッキーもどういう人物かよく分からなかったし。
金井: ラッキーは「にぎやかし」っぽい役割もあるよね。間を持たせるというか。人間として扱われない酷さとかの風刺かもしれないけど。急に長台詞が始まったり、怖いところもある。
――これをお金を払って演劇で見る人って、当然『ゴドーを待ちながら』がどういう演劇か分かって行くんだろうなあ。
金井: まっさらな気持ちで何も知らずに見ると衝撃だよね。
――どういう受容のされ方をしたんだろうね。
金井: もちろん不条理演劇としてのインパクトはすごかったんだろうけど、発表された時代性は当然あるよね。今もう一度『ゴドーを待ちながら』をやるのは違うかもしれない。
――例えば大河ドラマだったら「次の信長はあの俳優か」とか、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』でもロミオ役を誰がやるのか、とかで盛り上がるじゃん。でも『ゴドーを待ちながら』で「ヴラジミール役をあの人が!!」とはなりにくそうだよね(笑)。
金井: 確かに。アドリブにも気づかないだろうなあ。でもそこが面白い。
――作者のサミュエル・ベケットは、小説家のポール・オースターとも交流があったんだね。
金井: オースターの『幽霊たち』の設定のような不条理性は似てるけど、割とオースターは探偵小説という軸があるもんね。しかし戯曲を読み解くのって難しいよね。セリフだけで組み立てられているからね。地の文がないから舞台設定とかイメージつかないところもある。
――ト書きも結構『ゴドー』はめちゃくちゃだしね(笑)。混乱しちゃう。
金井: 『ゴドーを待ちながら』のストーリーは、ポジティブに捉えるとハッピーエンドなんだろうな。2人はずっと一緒でしたというか。
――ヴラジミールとエストラゴンは友人のようで、男性カップルのようにも思えるよね。
金井: 友人関係というよりはかなり親しい感じもあるね。当時のマイノリティに焦点をあてたところもあったのかも。
――あとさ、最後のヴラジミールのセリフの「ズボンを上げるな」の「 上げ 」だけ太字になってるのに笑っちゃったんだよな(白水社版)。全編通してここしか太字がなかったと思うんだけど。あと、ポケットから急に汚い大根とか人参を取り出して揉めるシーンとか好きなんだよね。
金井: 意味分からないよね(笑)。大爆笑というほどではなくても、くすっとできるし、解釈をいくらでもできる作品だね。
平田提
Dai Hirata
株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、兵庫県在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、オウンドメディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。
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