夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじ・登場人物・テーマ

Mon, Aug 31, 2020

ライター:平田提

夏目漱石 坊っちゃん 文学
夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじ・登場人物・テーマ

『坊っちゃん』は明治時代を代表する作家・夏目漱石による小説。明治39年(1906)4月、雑誌『ホトトギス』に発表されました。漱石が旧制松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)に教師として赴任した経験が『坊っちゃん』の基となっています。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」という書き出しが有名なこの小説。『坊っちゃん』には主人公の青年教師が四国の中学校で先生・生徒相手に葛藤する姿が、江戸っ子の口調でユーモラスに描かれています。

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夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじ

夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじ。写真は夏目漱石『坊っちゃん』の舞台となった愛媛県松山・道後温泉。作中でも坊っちゃんたちが通う描写がある。

写真は夏目漱石『坊っちゃん』の舞台となった愛媛県松山・道後温泉。作中でも坊っちゃんたちが通う描写がある。

主人公「坊っちゃん」は母を亡くしてから父親・兄との三人暮らし。家族とは反りが合わず、下女の老婆・清(きよ)に可愛がられて育ちます。数学教師として四国の中学で働くことになりますが、直情型の性格ゆえに生徒や同僚たちと何度もぶつかってしまいます。同僚「うらなり君」の婚約者「マドンナ」を教頭「赤シャツ」が口説き落とし、うらなり君を宮崎・延岡の学校に転任させたと知った坊っちゃん。同僚「山嵐」とともに赤シャツの芸者遊びの現場を押さえ、鉄拳制裁を加えます。学校を辞めて東京に戻った坊っちゃんは、街鉄(現在の都電の前身)で働き、清とまた暮らし始めます。

夏目漱石『坊っちゃん』の主要登場人物

・坊っちゃん

本作の主人公。江戸っ子気質でまっすぐな性格だが、それゆえに人と衝突することも多い。手紙を書くのや人前で話すのは苦手。物理学校(現:東京理科大学)を卒業後は数学教師として四国の中学に赴任する。東京を離れてから清を恋しく思っている。同僚にさまざまなあだ名をつける。

・清(きよ)

坊っちゃんの家の下女(家事手伝い)の老婆。武家の生まれだったらしいが、倒幕(徳川幕府の崩壊)で家が落ちぶれ、奉公に出ている。主人公を「坊っちゃん」と呼び溺愛している。坊っちゃんと同じ家で暮らすことを夢見る。

・山嵐(やまあらし)

坊っちゃんの同僚の数学教師。坊っちゃんいわく「逞(たくま)しい毬栗(いがぐり)坊主で、叡山の悪僧(※)と云(い)うべき面構(つらがまえ)」。正義感が強く、坊っちゃんとは気が合う。生徒からの人気もある。本名は堀田。

※叡山の悪僧……比叡山延暦寺に属して戦った僧兵のこと。

・狸

坊っちゃんの中学校の校長。「校長は薄髯(うすひげ)のある、色の黒い、眼の大きな狸の様な男である(夏目漱石『坊っちゃん』/新潮文庫/23ページ)」。

・赤シャツ

坊っちゃんが働く中学校の教頭。文学士。年がら年中赤いシャツを着ている。理由は「当人の説明では身体に薬になるから(夏目漱石『坊っちゃん』/新潮文庫/25ページ)」。高い声で話す。うらなり君の婚約者・マドンナに横恋慕している。

※大正期まで帝国大学だけが学士号を授与できた。『坊っちゃん』が書かれた1906年当時は帝国大学は東京・京都の2校のみ。京都帝国大学文科大学の設立が同じ年なので、赤シャツは東京帝国文科大学出身。

・野だいこ

坊っちゃんの同僚の画学(美術)教師。赤シャツについて回り、一緒に悪巧みをする。本名は吉川。初対面から坊っちゃんには嫌われている。

・うらなり君

坊っちゃんの同僚の英語教師。大人しい性格で、坊っちゃんは好感を持っている。顔がいつも青白く、体型はふくれている。あだ名は坊っちゃんが清に聞いた「うらなりの唐茄子(栄養が行き届かずともふくれた茄子)」の話から。本名は古賀。

・マドンナ

うらなり君の婚約者。坊っちゃんとは作中で話すことはない。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人(夏目漱石『坊っちゃん』/新潮文庫/104ページ)」。

夏目漱石『坊っちゃん』のテーマ

『坊っちゃん』は勧善懲悪?

『坊っちゃん』は坊っちゃんと山嵐が「善」で、赤シャツと野だいこの「悪」を懲らしめます。『坊っちゃん』執筆当時は「自然主義(※)」が主流だったため、江戸時代後期の人情本や歌舞伎のような勧善懲悪は時代に逆行したもの。しかし『坊っちゃん』は勧善懲悪のストーリーに見えて、そう言い切れない作品です。 坊っちゃんたちは赤シャツと野だいこを鉄拳制裁しますが、完全に勝ったわけではありません。坊っちゃんと山嵐は自分で辞表を出して四国の地を去りますが、赤シャツたちは中学校に居座ったままです。マドンナがその後どうなったかは分からず、うらなり君も転任させられたままです。そこが風刺になっています。『坊っちゃん』には漱石が体感した「近代化への嫌悪感と葛藤」がテーマとして描かれていると考えられます。

※自然主義……もともとフランスのエミール・ゾラなどを中心に19世紀に起こった文学運動。現実をありのまま、誇張せず客観的に描くことを目指すもの。日本にも19世紀末~20世紀初頭に輸入されました。日本の自然主義の代表的作家は島崎藤村や田山花袋など。

夏目漱石が目にした近代化への嫌悪感と葛藤

夏目漱石が目にした近代化への嫌悪感と葛藤

夏目漱石は明治33年(1900)に文部省の派遣留学生としてロンドンへ留学しました。留学の目的は英文学研究と近代化を目の当たりにし持ち帰ることでしたが、漱石は悩みます(留学時の孤独もあいまって、帰国後も漱石は神経症に悩まされます)。 日本はいずれイギリスのように近代化されるだろうが、人間性や自然は失われていくかもしれない。外国語や近代思想を身につけようと、それは付け焼き刃ではないか。自分で生活の中から得た言葉こそ大事なのではないか。しかしその考え方は夏目漱石の目には敗れていく運命にあるように見えたのかもしれません。

近代化の象徴・赤シャツ/人間臭さの象徴・坊っちゃん

坊っちゃんは武家の血を誇りにしています。坊っちゃんの家は旧幕臣で、元をたどれば旗本、清和源氏にたどり着くといいます。山嵐も会津の出身で、会津藩は最後まで幕府側で明治政府・官軍と戦いました。2人それぞれのルーツは、倒幕で敗けたものでもあるのです。

一方で赤シャツは帝国大学卒で若くして教頭になった、当時最先端のエリート。外国語と近代思想を身につけています。赤シャツはいわば近代化を象徴しています。漱石の内面にある近代化と人間臭い価値観の2つの対立が、『坊っちゃん』には描かれている、とも考えられます。

思想家・吉本隆明はこう述べています。

主人公の「坊っちゃん」は、閲歴や趣向が反漱石として設定され、同時に資質としての漱石が措定されている。作中の「赤シャツ」は閲歴としての漱石、資質としての反漱石といえる(吉本隆明『漱石の巨きな旅』日本放送出版協会/100ページ)

※閲歴……人が社会的にたどってきた経歴、来歴、経験。 ※措定……モノ・コトが明らかに存在するものととして抽出し、固定すること。

坊っちゃんは漱石と違い、文学などには興味がなく、数学・物理を専攻します。夏目漱石は江戸牛込馬場下(現在の東京都新宿区の喜久井町)出身の江戸っ子で、その資質は坊っちゃんと共通します。漱石は漢詩や英文の素養のある帝国大学卒のエリートでもあり、それは赤シャツに「閲歴」として表現されている。

『坊っちゃん』の面白さは軽妙な文体のリズム

この小説は江戸っ子が近代エリートに敗けるだけでは終わりません。坊っちゃんは作品の最後、東京に戻って就職し、清とまた暮らし始めます。『坊っちゃん』を貫くのは、坊っちゃんと清が血の繋がりを超えてお互いを思いやる情です。人間臭い生活の中での言葉こそがこの作品を支えています。

また、何より『坊っちゃん』の面白さはその語り口。坊っちゃんが江戸っ子口調で毒舌をまくし立てる様が楽しい小説です。褒められたものではないですが、悪口のバリエーションも豊かです。

人にはそれぞれ専門があったものだ。おれの様な数学の教師にゴルキだか車力だか、見当がつくものか、少しは遠慮するがいい(新潮文庫/62ページ)

バッタだろうが雪踏(せった)だろうが、非はおれにある事じゃない。校長が一と先ずあずけろと云ったから、狸の顔にめんじて只今のところは控えているんだ。野だの癖にいらぬ批評をしやがる。毛筆でもしゃぶって引っ込んでるがいい(新潮文庫/64ページ)

ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被(ねこつかぶ)りの、香具師(やし)の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい(新潮文庫/137ページ)

落語のようなリズムある語りが笑いを誘います。東大卒の知識人だった夏目漱石が、あえてこういった江戸っ子口調で勧善懲悪に見える小説を書いたのも、一つの「芸」のようなものだったのかもしれません。

『坊っちゃん』の作者・夏目漱石について

『坊っちゃん』の作者・夏目漱石について

※画像は国立国会図書館「近代日本人の肖像」の利用規約に基づき使用。

作者の夏目漱石(なつめそうせき)は慶応3年(1867)1月5日、東京生まれ。本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。明治26年(1893)東京帝国大学(現:東京大学)英文科を卒業後、旧制松山中学校・第五高等学校(熊本)の教師に。明治33年(1900)に文部省の派遣留学生に選ばれ、ロンドンへ留学。帰国後、東大で英語・英文学の講師となりますが、ロンドン留学中からの神経症に悩まされます。友人・高浜虚子のすすめで治療の目的もあって書いたのが『吾輩は猫である』(1905~06)とされています。雑誌『ホトトギス』に『坊っちゃん』を発表。 明治40年(1907)に朝日新聞に入社、専属の「小説記者」となりました。以降は『三四郎』(1908)『それから』(1909)『門』(1910)『こゝろ』(1914)『道草』(1915)『明暗』(1916、絶筆)などの作品を次々に発表。後期は『坊っちゃん』のようなユーモラスな作風よりも、近代知識人の内面の葛藤を描く側面が強くなります。当時主流の自然主義とは別の流れを行く作風は「余裕派」と呼ばれます。神経症や胃痛に苦しみ、大正5年(1916年)12月9日に没。 夏目漱石の多くの作品が現代でも中学校・高校等の国語の教科書に採用されています。近代日本の代表的作家とされ、昭和59年(1984)~平成19年(2007)まで日本紙幣の千円札の肖像となりました。

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参考文献

・夏目漱石『坊っちゃん』新潮文庫 ・吉本隆明『漱石の巨きな旅』日本放送出版協会 ・五味文彦・鳥海靖 編『もういちど読む 山川日本史』

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