日本の漫画文化の特徴は、漢字・ひらがな並べたてがベースのモンタージュ理論?
2020/09/11 11:03
ライター:平田提
日本文化 松岡正剛 漫画 文学なぜ日本の漫画文化が発展したのか。もちろんいろんな国の面白い漫画文化があって、例えばフランスのB.D.(ベデ、bande dessinée バンド・デシネ)とか、DCコミックスやメーベルコミックのアメリカンコミックも面白い作品がいっぱいあります。一方で日本の漫画の特異性(※)はみなさんも何となく感じられているんじゃないかと思うんですが、内田樹(うちだたつる)さんの『日本辺境論』に書いていた解釈が面白かった。結局それって日本人の読み書き能力の特殊性、リテラシーにも要因があるんじゃないかと。
※例えば手塚治虫大先生のようにあらゆるジャンルを描く漫画家がいたり、『週刊少年ジャンプ』的なバトルインフレがあったりするなど。そもそもアメコミなどはストーリーと作画(ペンシラー)、さらにペン入れ(インカー)や色塗り(カラリスト)が分業制だったりします。一人の漫画家が(編集・アシスタントや外注の手を借りながらも)ストーリーも画もつくることが一般的な日本は、描く力もそうですがストーリーテリングの能力と、それを読み解くリテラシーが背景にありそうです。当然、海外の漫画ファンにも備わっているものだと思います。
日本人は漢字とひらがな・カタカナを併用する文化ですよね。漢字は表意文字でもあるんですけど象形文字でもあって、つまりイメージです。イメージとしての漢字を連ねて文をつくっていくところがある。漢字は中国や韓国にもあるのですが、日本語にはさらにひらがながある(※)。ひらがな・カタカナは元々は漢字から崩して作られた発明で、『土佐日記』『古今和歌集』の紀貫之などの取り組みで定着していったというところがあるんですけど、面白いのは養老孟司さんの話ではディスレクシア(読字障がい)の人は西欧だとアルファベットのみなので1パターンだけど、日本人の場合は漢字だけ読めない人と、かなだけ読めない人2パターンあるらしい、と。要は脳の違う部分を使っている可能性があるって内田樹さんの話にはあるわけですが、日本人の読み書き能力の特徴がここにあるらしい。
これが漫画にどう関わってくるかというと、吹き出しと絵で漫画は成り立つときに、絵が表意文字・象形文字=漢字で、吹き出し=表音文字、ひらがなとも解釈できる。この2つを並列処理できる読み書き能力が、日本の漫画表現の特異性にあるんじゃないかと。
※韓国におけるハングル(書き文字)も表音文字なので、日本と状況が似ているかもしれません。ただ韓国ではハングルが中心なので日本語ほど漢字の登場機会がありません。Netflixで人気になった『梨泰院(イテウォン)クラス』の原作Web漫画などを見ても、セリフは横書きで、それはアメコミに近い。Web漫画なので左上から右下のZ字の読者の視線を意識しているのもあるでしょうが、漫画以外でもハングルは現代は横書きが多いと聞きます。本稿の話でいくと、漢字の使用頻度が一番違いとして大きい気がします。
漫画にモンタージュ理論、映画的演出を持ち込んで完成させたのが、かの手塚治虫先生ですが、モンタージュ理論はもともと旧ソ連のセルゲイ・エイゼンシュテインという映画監督が作り上げたものです。彼は『戦艦ポチョムキン』(1925)などの作品で有名ですけど、ソシュールの構造主義とか、クレショフなどの映画理論、そして日本の歌舞伎・漢字に影響を受けています。日本文化については『思いがけない接触』っていう文章でも語られています。歌舞伎の「見得」を切る動作をクローズアップとして捉えたり、漢字に関しては表意・象形文字としての成り立ちに興味を持っていました。
“日本人は効果達成の手段を二重にする。日本人は、視覚像と聴覚像とを等価物として利用することに熟達していて(略)(『忠臣蔵』において)市川猿之助が切腹するときの手の動きと、舞台外から聞える啜(すす)り泣きの音とを組み合わせて、これを絵画的に短刀の動きと一致させているやり方を、これ以上みごとに描写することのできる手法を、ぼくは知らない(セルゲイ・エイゼンシュテイン『映画の弁証法』17頁/角川文庫)”
※エイゼンシュテインは手放しに日本文化を称賛しているわけではなく、日本映画が歌舞伎の特質性に学ぶことなくハリウッドの模倣に走ることを批判しています(当時)。ただ漢字や和歌など日本文化全体にモンタージュ理論のヒントを得ていました。
1秒間18コマ、24フレームなどの静止画の連続を錯覚して我々は動いてるように感じるんですが、違うイメージをつなげて意味を作り出す手法をエイゼンシュテインがまとめたのが、モンタージュ理論なんです。
モンタージュ理論は私たちは今や日常的に眼にしているものですが、これは視点の異なる複数のカットを並べて意味を作ることです。
イマジナリーラインと呼ばれるものもモンタージュの1つで、例えば左側に男性を配置して男性は右側を見ている、もう一つのカットでは右側に女性を配置して女性は左側を見ているっていうカットを連続して並べる。するとまるで向かい合っているかのように見えます。その真ん中のカットに例えばケーキを置いたとしたらケーキを左右から二人が見てるって意味合いになるんですけど、最後のカットにケーキを置いたら、お祝いをしてくれてありがとうって言っているシーンになるかもしれない。
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そのように順番を変えると意味が変わるってことなんですよね。こういう手法がもともと漢字などから影響を受けてエイゼンシュテインが完成させ、それを手塚治虫が漫画に逆輸入しているところが面白いです。
松岡正剛さんの『日本という方法』にあるんですけど、もともと日本語に文字はなかったらしいんですよね。漢字が渡来人たちによってもたらされたわけですけど、漢字に元々持っていた音を当てていくことで訓読みを作った。さらに漢字を崩してカタカナ、ひらがなを作った。真名序(漢字の文)・仮名序(ひらがなの文)を分けてつくられたのが『古今和歌集』で、仮名序をまとめたのが教科書でも習う紀貫之(きのつらゆき)さんですね。紀貫之というと『土佐日記』が有名です。「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」という。『土佐日記』が画期的だったのは、トランスジェンダー的に女性のふりをして書いたのも一つなんですけど、おそらく紀貫之は漢字で日記を書き留めてからひらがなに変えたんじゃないかっていわれている。彼がそれを進めたのも、日本語なりの文章のロジック(仮名序)を作るっていう思惑があったらしいんですよね。さらに『古今和歌集』っていう勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう、天皇・上皇の命令でに編纂された歌集)で仮名序を登場させた。
※上の句は『古今和歌集』とは関係なく、高浜虚子によるもの。 Photo by Federico Respini on Unsplash
「和漢並べたて」のこの文化こそ、日本文化の面白い「ハイブリッド」なんですよね。松岡さんの話で興味深いのは、フランス語・日本語・英語・中国語・韓国語みたいな言語はそのロジック・体系ができてから物語が生まれたんじゃなくて、逆だと。物語があったからこそ、言語体系が生まれたと。文化そのものも、物語で発展してきたというんですね。 ギリシャにおける『イーリアス』『オデュッセイア』とか、フランスの『ロランの歌』があったからこそ、ギリシャ語やフランス語が完成させられていった。その場合、日本って元々文字がないから、何をしていたかというと、「語り」なんですよね。声、身振り・手振りで1つのシーンをアニメートしていった。それで口頭伝承が進んでいった。
語りの文化があった上で漢字を日本語化してったので、アニメートさせるリテラシーっていうのが最初に言っていた漢字・ひらがなで漫画を伝える文化に繋がっていったんじゃないかと思うんです。漢字(画)・ひらがな(声)の日本語のストーリーテリングの文化が、漫画的な記号の組み合わせにマッチしたのかもしれません。
平田提
Dai Hirata
株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、兵庫県在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、オウンドメディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。
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