谷崎潤一郎『細雪』のあらすじ・登場人物・テーマについて

2020/11/13 22:37

ライター:平田提

文学 谷崎潤一郎
谷崎潤一郎『細雪』のあらすじ・登場人物・テーマについて

昭和『細雪(ささめゆき)』は昭和の作家・谷崎潤一郎による小説。昭和18年(1943)から第二次世界大戦を挟み、昭和23年(1948)にかけて刊行されました。谷崎潤一郎の代表作の一つで、大阪~神戸に住む蒔岡(まきおか)家の4人姉妹の生活が描かれています。読み進めると、戦争に向かう中での関西の上流階級の暮らしぶり、日本的な様式美やしきたりとの女性たちの葛藤が見えてきます。

谷崎潤一郎『細雪』のあらすじ

一時ほどの勢いはないものの、関西の上流階級に位置する蒔岡(まきおか)家。四姉妹の次女・幸子(さちこ)と貞之助(ていのすけ)夫妻は、三女・雪子(ゆきこ)が早く結婚するようにと世話を焼きます。四女・妙子(たえこ)は幼なじみ・啓坊とかつて駆け落ち事件を起こしますが、今は人形作家として一人で暮らします。腐れ縁のように妙子と啓坊は付き合っているようでした。 幸子夫妻はその後も何度か雪子のお見合いを設定しますが、うまくいきません。雪子はお見合いに消極的なわけではないもののどこか本腰は入れられない様子。とりあえずは幸子の娘の悦子(えつこ)の家庭教師のようなことをして暮らしていました。

あるとき神戸一帯で起きた大水害(※)で妙子が孤立しますが、板倉という写真家に助けられます。妙子は彼に惹かれ始めるものの、板倉は病死してしまいます。 その後、妙子が啓坊に金銭をたかっていた問題が浮上、さらにバーテンダー・三好(みよし)との子を妊娠したことが発覚。しかしその子は死産になってしまいます。啓坊は新しい仕事で満州に行く前に、貞之助に手切れ金を要求。妙子と三好は一緒に暮らし始めます。やがて太平洋戦争が本格的に始まる頃、雪子は貴族出身の御牧(みまき)という男性との縁談がまとまるのでした。

※実際に昭和13年7月5日に神戸市内や阪神地方に豪雨が降り、川の氾濫・堤防の決壊が起こった。死者200人、行方不明者400人の大水害となった。

谷崎潤一郎『細雪』の登場人物

・幸子

四姉妹の次女。家族思いで、姉妹みんなの将来を心配して駆け回る。

・雪子

慎ましい性格の四姉妹の三女。結婚をしていないため、当時の風習からすると本家にいないといけないが、幸子の分家で暮らす。悦子をとても可愛がっている。日本趣味で和服をよく着る。

・妙子

陽気で自由奔放な四姉妹の四女。フランス人形や日本人形などを自作して販売、教室を開くなどして生活している。西洋趣味。カタリナというロシア人の弟子がいる。

・貞之助

幸子の夫。計理士(現在の公認会計士)。文学趣味がある。雪子や妙子たちとも仲は良いが、雪子がずっと分家にいることには気後れしている。

・悦子

幸子と貞之助の娘。快活な性格だが、身体はあまり強くなく熱をよく出す。雪子を慕う。隣のドイツ人の家庭、ローゼマリーと仲良し。

・鶴子

四姉妹の長女。早くから母の代わりに父や妹たちの面倒を見ていた。妹たちと離れているが、その身を案じている。6人の子供がいる。

・辰雄

本家の婿。銀行員で途中、東京・丸の内の店に異動となり、渋谷に移り住む。雪子の将来を思っているが、彼女にあまり良く思われていないのを気にしている。

・啓坊

船場にある株式会社奥畑商店の三男。いわゆる「ぼんぼん」。妙子と昔から付き合っているようである。

・板倉

写真館「板倉写場」の写真家。奥畑商店の丁稚(でっち)をしたあと、アメリカで写真を学んだらしい。

谷崎潤一郎『細雪』のテーマ。繰り返される様式美、それに抗うか

谷崎潤一郎『細雪』のテーマは「繰り返される様式美」と捉えられます。それを受け入れるか、抗うか。様式美とは『細雪』の場合、旧来の日本的な価値観や風習、家の伝統などです。それは「いき」「風流」という感性とセットになっています。

『細雪』に生きる、『源氏物語』の「もののあはれ」

谷崎は『細雪』を書く前から『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいました。その影響を谷崎は『細雪』の回顧録の中でも否定していません。『源氏物語』のような壮大な物語文学を現代(当時)の日常生活でやろうとしたのが『細雪』ともいわれています。 『源氏物語』など平安の王朝文学の特徴とされるのが「もののあはれ」。見るもの、触れるもの、聞くものに揺れ動く感情、情緒、哀愁を大事にすることです。  幸子が毎年楽しみにしている花見のシーンなどはまさにこの「あはれ」が表現されていて、三姉妹は散る花を惜しむとともに娘時代がなくなっていくことを惜しんでもいます。

四季のように繰り返すけれども毎回違う、受け手は歳をとっていく。揺れ動く、常ならぬものに「あはれ」を感じる様式美です。様式美とは、家の制度、お見合い、姉妹の上の順から結婚しなければならないとか、そういう価値観にも落ちています。それは一人の力では抗えないような、時代を支配するものでもあります。

繰り返されるお見合いを受け入れる雪子。古い価値観に抗う妙子

繰り返されるお見合いを受け入れる雪子。古い価値観に抗う妙子

『細雪』では三女・雪子のお見合いと、四女・妙子が起こす恋愛事件の2つが話の中心にあります。そして二人の行く末に次女・幸子と貞之助夫婦がハラハラしながら世話を焼く……という展開が繰り返されていきます。

※長女・鶴子は本家におり、序盤で東京に行くため登場機会が少なくなります。

雪子のお見合いは何度も繰り返されます。雪子は少しの希望を見い出しながらも、お見合いを続けることに半ば諦めてもいます。一方で妙子は旧来の価値観に抵抗します。西洋趣味で、当時は少ない働いて自立する女性であり、結婚前でも自由に恋愛をします。 こういった様式美を受け入れるか、抗うかというのが雪子のお見合いや妙子の恋愛事件の繰り返しに表れているように思われます。

谷崎潤一郎『細雪』は風俗をよく表した小説

風俗というのは、衣食住やしきたり、習慣など人々の暮らしぶりのことをいいます。『細雪』にはまさに風俗小説といえるでしょう。 それをよく表しているのが『細雪』で特徴的な方言です。

『細雪』に残る当時の船場言葉

四女の妙子は「こいさん、頼むわ」という有名な書き出しにあるように「こいさん」と呼ばれていますが、「こいさん」の意味は「小娘(こいと)さん」、「末娘」のこと。「いと」は「愛(いと)しい」から来ているといいます。

これは船場(せんば)言葉という、当時の大阪の方言。船場言葉は「こいさん」の他にも「かんにん(ごめん)」「ごりょにん(奥さん)」など柔らかい語感の表現が多いもの。船場は古くから大阪の商業・金融の中心地で、豪商が住む地域でした。古い家には独特のしきたりがあったそうです。

この船場言葉でのやりとりは『細雪』の会話や風俗描写をより活き活き見せてくれます。

『細雪』姉妹の聖俗入り乱れた、そのままの暮らしぶり

蒔岡の本家は上本町(大阪府大阪市天王寺区)にあり、幸子たちの分家は阪急芦屋川(兵庫県芦屋市)にあります。芦屋は当時も、現在でも高級住宅地として知られています。

『細雪』で、蒔岡家の姉妹はレオ・シロタ(ロシア人ピアニスト)の演奏会に出かけたり、当時は贅沢品だったピアノを悦子が弾いていたり、ホテルでよく食事をしたりと確かに上流階級らしい暮らしぶりが描かれています。

『細雪』では雪子のどこか諦めた、それでいて凛とした美しい、清楚な印象が残ります。一方で『細雪』の最後の一行は

「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」(谷崎潤一郎『細雪』下巻、431ページ)

であったりして、きれいなままでは終わらないのです。脚気のためのベトキシン(ビタミン剤)を注射していない(それを幸子は「あたし、『B足らん』やねん」と表現する)とか、手首のかゆい部分に「モスキトン」を塗るとか、現代では分からない細かい生活描写があります。

このように当時の風俗が言葉づかい(方言)も含めてまるっと書いてあるところが、『細雪』の魅力でしょう。上・中・下巻合わせると1,000ページ以上ある大作ですが、読み終えるとものすごく長い映画(絵巻物)を観え終えたかのような感慨と、蒔岡家と一緒に過ごしたような錯覚、それと別れる寂しさを感じられるのではないかと思います。

・podcastでは森國勇誠さんと『細雪』を読んだ感想をお聞きいただけます。こちらもぜひどうぞ。

『細雪』の作者、谷崎潤一郎について

『細雪』の作者、谷崎潤一郎について

(角川書店「昭和文学全集15巻(1953年6月発行)」より。パブリックドメイン)

『細雪』の作者、谷崎潤一郎は明治19年(1886年)7月24日、東京・日本橋生まれ。13歳頃から友人たちと『学生倶楽部』という回覧雑誌を始め、文章を書き始めます。東京帝国大学国文科を中退、第二次『新思潮』を創刊。『刺青』(1910年)などの作品が反自然主義文学、独自のエロスや美意識を描くものとして高く評価されます。

私生活では最初の妻・千代の、当時15歳の妹・せい子と恋愛。これが千代との離婚を招きます。さらに作家で親友でもあった佐藤春夫に千代を譲ると約束するも直前で取り消し、佐藤と絶交(小田原事件)。関東大震災をきっかけに関西に移住。

大正13年(1924)発表の『痴人の愛』の小悪魔的な女性・ナオミはせい子がモデルで、当時は「ナオミズム」という言葉が生まれるほどの人気に。その後『卍(まんじ)』(1928)や『蓼(たで)食ふ虫』(1929)では関西の上流夫人、上方言葉が描かれます。

谷崎は文藝春秋社『婦人サロン』記者、古川丁未子(とみこ)と昭和6年(1931)に再婚。『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(1933)前後から、谷崎は伝統的な日本語による美しい文体を目指すようになります。昭和10年(1935)から『源氏物語』の現代語訳に着手、以降『潤一郎新訳源氏物語』として刊行。

谷崎は根津清太郎の夫人、松子に惹かれていき、お互い離婚したあと谷崎と松子は再婚。『細雪』の蒔岡姉妹は松子の森田姉妹がモデルになっています。『細雪』は昭和18年(1943)から発表、しかし戦時中に軍部から「国策に合わない」と掲載中止に。上巻を昭和19年(1944)に自費出版し、中巻を出そうとするも軍部に印刷禁止にされます。戦後の昭和21年(1946)に上巻、翌年に中巻、下巻が昭和22年(1947)に発表。ベストセラーとなります。 谷崎はその後も『瘋癲(ふうてん)老人日記』(1961)など執筆を続けますが、昭和40年(1965)7月3日、腎盂炎(じんうえん)に心不全を併発し、帰らぬ人となりました。

参考文献

・谷崎潤一郎『細雪』(新潮文庫) ・『新潮日本文学アルバム 谷崎潤一郎』(新潮社)

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