小説『グレート・ギャツビー』のあらすじ・登場人物・テーマ・作者

2020/09/15 09:24

ライター:平田提

グレート・ギャツビー 文学
小説『グレート・ギャツビー』のあらすじ・登場人物・テーマ・作者

『グレート・ギャツビー』(『華麗なるギャツビー』)は、1925年4月に発表されたスコット・フィッツジェラルドによる小説。アメリカの大手出版社ランダムハウスの一部門・モダンライブラリーによる「20世紀最高の小説」の2位に選ばれています。フィッツジェラルドの代表作で、今もアメリカの大学・高校の授業でたびたび扱われます。「ジャズ・エイジ」と呼ばれるアメリカの1920年代のきらびやかさと退廃さと、現代にも通ずる「夢と現実の葛藤」が深く描かれています。

『グレート・ギャツビー』のあらすじ

『グレート・ギャツビー』のあらすじ

舞台は1922年の夏、ニューヨーク州ロングアイランドにニック・キャラウェイが引っ越してきます。ニックの借家の近くにジェイ・ギャツビーの大邸宅がありました。ニックは女友達のジョーダン・ベイカーとギャツビーのパーティに参加し、彼と知り合います。

何もかも満たされた大金持ちに見えるギャツビーでしたが、ある望みをニックに打ち明けます。それはニックの親戚の女性、デイジーに会うこと。ニックの仲介でギャツビーとデイジーは再会。二人はかつて恋に落ちたことがあったのですが、デイジーは今やトム・ブキャナンと結婚し子供もいました。

デイジーもギャツビーに愛を感じていたのと、トムの浮気などもあり駆け落ちを考えます。ギャツビーとデイジーはトムの前でその計画を表明しますが、トムはギャツビーが悪行で金を稼いだのではないかと問い詰めます。動揺したデイジーとギャツビーはトムに促され車で家に帰りますが、途中で運転していたデイジーはトムの浮気相手・マートル・ウィルソンを轢き殺してしまいます。

ギャツビーはデイジーの罪を被ることに決めますが、マートルの夫のジョージ・ウィルソンは妻を殺した車を突き止め、犯人がギャツビーであると考え撃ち殺します。ギャツビーの葬式には彼の父親とニックしか参加しませんでした。傷心のニックはギャツビーとの友情を思い出しながら、ニューヨークを去ります。

『グレート・ギャツビー』の登場人物

・ニック・キャラウェイ

『グレート・ギャツビー』の語り手。イェール大学卒。アメリカ中西部の良家に生まれる。ジェイ・ギャツビーの邸宅近くに一軒家を借り、引っ越してくる。ジョーダン・ベイカーと恋人関係になる。ギャツビーと友情を結ぶ。

・ジェイ・ギャツビー

アメリカン・ドリームを体現するように、貧しい立場から成り上がった男。戦争で軍功を上げ、怪しげな仕事で財を成し、毎週土曜日に豪邸で盛大なパーティーを開いている。5年前恋に落ちたデイジーと添い遂げることを夢見る。

・デイジー・ブキャナン

ニックの又従弟(またいとこ)の子供で、トム・ブキャナンの妻。多くの男性を惹きつける美貌を持ち、かつてギャツビーと恋に落ちたことがあった。

・トム・ブキャナン

デイジーの夫。ニックとは大学の「知り合い」程度の間柄。マートル・ウィルソンと浮気をしている。

・ジョーダン・ベイカー

デイジーの友人で、プロゴルフ選手。ニックとギャツビーのパーティーに参加し、親しくなる。

・マートル・ウィルソン

ジョージ・ウィルソンの妻で、トム・ブキャナンの浮気相手。

・ジョージ・ウィルソン

マートル・ウィルソンの夫。車の修理工場のオーナー。

『グレート・ギャツビー』のテーマ。アメリカン・ドリームの退廃と美しさ

『グレート・ギャツビー』で扱われるテーマの一つが、アメリカン・ドリーム。アメリカン・ドリームとは、自由のもとに平等な人々が清廉な精神で経済的・社会的成功を掴むこと。このテーマを考えるために、まずはスコット・フィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』を書いた1920年代の時代背景を見てみましょう。

第一次大戦後の好景気と禁酒法。興奮と退廃の1920年代「ジャズ・エイジ」

第一次大戦後の好景気と禁酒法。興奮と退廃の1920年代「ジャズ・エイジ」

South Street, Manhattan, New York, United States

Photo by The New York Public Library on Unsplash

アメリカの1920年代は「狂騒の20年代」「黄金の20年代」「ジャズ・エイジ」などと呼ばれ、映画・文学・ジャズなどの文化が花開いた時代。第一次世界大戦後の好景気で、自動車やラジオが普及し、ニューヨークの摩天楼(高層ビル群)が形成されていきました。ニューヨークには今も証券取引所がありますが、『グレート・ギャツビー』の登場人物ニックも証券の勉強をし、ニューヨークで働くために引っ越してきたのでした。

ビリー・サンデーは元野球選手で禁酒法を推し進めた人物。1922年2月20日ホワイトハウスで

※ビリー・サンデーは元野球選手で禁酒法を推し進めた人物。1922年2月20日ホワイトハウスで。 (Everett Collection/shutterstock)

アメリカでは1920年に修正憲法18条、いわゆる「禁酒法」が制定され、1933年まで続きました。禁酒法では消費目的の酒の製造・販売・輸送が禁じられました(飲酒自体は禁止ではなかった)。こういった時代背景もありギャツビーのパーティーは盛り上がりを見せたのでしょう。またギャツビーの「裏稼業」は賭博や詐欺まがいのこと、違法で酒を売買しているらしきことがトム・ブキャナンの調査などで分かります。

この時代のきらびやかさと退廃さは、戦争終結後の安心と次の戦争への不安を抱えた人々の狂騒からもたらされていました。この時代性をスコット・フィッツジェラルドが『ジャズ・エイジの物語』によって「ジャズ・エイジ」と名付けました。 ギャツビーのアメリカン・ドリームはこの時代情勢によって悪行で得たもの。ギャツビーの死のように、いずれこの狂騒の時代が崩壊することが暗示されています。

自分の夢を追うギャツビーのまっすぐさ

ギャツビーは元々貧しい環境に生まれながら戦争で軍功を上げ、大尉から少佐、指揮官へと上り詰めました。その過程で良家の美しい娘、デイジーに恋します。デイジーもまた普段触れない分野の知識を持つギャツビーに惹かれました。

しかし戦争で遠征し、イギリスのオックスフォードに送り込まれたあと、ギャツビーとデイジーは離れ離れになってしまいます。 その後ギャツビーは詐欺師まがいの人物たちと非合法な手段で富を得たことが作中で示唆されていますが、彼にとっての真のアメリカン・ドリームは、デイジーと再び一緒に暮らすことでした。

この小説ではギャツビーを含め、登場人物の多くが俗物として描かれています。ニックもデイジーもトムも、恵まれた環境にいながら与えられた境遇には満足せず、自分探しや散財や浮気を繰り返します。しかしギャツビー一人は、夢へと突き抜けていきました。ジャズ・エイジの終わりのように、だからこそ死に至ったところもありますが、そのギャツビーのまっすぐさはニックを惹きつけます。

“人生のいくつかの約束に向けて、ぴったりと照準を合わすことのできるとぎすまされた感覚が、彼には備わっていたのだ。(中略)それは彼に尋常ではない希望を抱かせ、強い夢想へと駆り立てた。そのような心を、僕は今までほかの誰の中にも見いだすことができなかったし、これからもおそらく目にすることはあるまい。そう――ギャツビーは最後の最後に、彼が人としてまっすぐであったことを僕に示してくれた” (『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳/中央公論新社/11~12ページ)

ニックはギャツビーにも存在する俗物性を決して好んでいたわけではありませんが、敗れるかもしれなくても夢を追い続ける姿勢には敬意を払っていました。それがゆえに、ギャツビーもまたニックに友情を抱いていたのでしょう。

“「誰も彼も、かすみたいなやつらだ」と僕は芝生の庭越しに叫んだ。「みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」 思い切ってそう言っておいてよかったと、今でも思っている。それはあとにも先にも僕が彼に与えた唯一の讃辞になった。僕としては始めから終わりまで一貫して、彼という人間を是認することはどうしてもできなかったからだ。 ((『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳/中央公論新社/277~278ページ)※原文は「かす」に傍点あり”

※俗物……世間的な利益や名声にとらわれた人のこと。

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『グレート・ギャツビー』の作者、スコット・フィッツジェラルドについて

『グレート・ギャツビー』の作者、スコット・フィッツジェラルドについて

スコット・フィッツジェラルドは1896年生まれのアメリカの作家。1920年に処女作『楽園のこちら側』がベストセラーになり経済的成功を収めます。その後も『美しく呪われたもの』、短編小説集『フラッパーと哲学者』『ジャズ・エイジの物語』なども評判となり、妻のゼルダととともに当時の文学のアイコンとして脚光を浴びます。

1922年にロング・アイランドのグレート・ネックに移りますが、ゼルダはパーティー騒ぎを繰り返します。この地での生活は『グレート・ギャツビー』に活かされています。

1924年、執筆環境を整えるためにフランスのリヴィエラに移ります。ここでゼルダがとある飛行士と浮気。デイジーとギャツビー、トムの関係性にも近いものがあありますが、このことが後年の関係にも影響します。後年は妻ゼルダの発狂もあり、育児をしながら執筆も進めていましたが、1940年に44歳の若さで亡くなりました。

1925年に発売された『グレート・ギャツビー』はフィッツジェラルドが存命中には数万部しか売れなかったものの、死後は学校の教材にもなり毎年数十万部売れ、アメリカ文学の名作として多くの人に読まれるようになりました。

参考文献

  • 『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳/中央公論新社)
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平田提
Dai Hirata

株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、兵庫県在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、オウンドメディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。

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